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大昔、Macでマウスを使っている人間を見て、おもちゃで遊んでいるようだと言われた。当時はキーボードでコマンドを打つのが「仕事」で、それ以外の事は「おもちゃをいじっている」事に過ぎなかった。しかし、今はどうだろう。世界中の人々がマウスを使って仕事をしている。それを「おもちゃをいじっている」とは言わない。iPadのタッチパネルも同じ、宮崎駿監督は、新しい操作体系を使う者を新技術に依存する愚か者として見ているのだ。つまり、宮崎駿監督の主張は恐らく本も否定の対象になっている筈だ。彼が言いたいのは「実際に己の目で見よ!」と言いたいわけで、iPadが特別そうなのかというと、そうではない。その理屈で言えば、本にも同じ事が言える。彼の言いたい事は「自分の目で見る事なくテクノロジー(本やiPad)に依存して分かった気になるな」と言いたいのだと思うが、そういう彼には、実際にiPadを使ってからそういう事を言ってくれと言いたい。
> 大昔、Macでマウスを使っている人間を見て、おもちゃで遊んでいるようだと言われた。
いつのことだかわからないけど、PostScriptがMacで使えるようになる前だよね?初代のMacはモノクロで、添付のワープロもペイントもオモチャみたいな仕様だったはずだし。
>初代のMacはモノクロで、添付のワープロもペイントもオモチャみたいな仕様当時のPCは、そのおもちゃみたいな仕様以下だったんだけどな
>初代Macは1984年でしょ? その頃は既に、x86系パソコンはワープロや表計算で事務機器として実用品だったぞ。
1984年頃のMacについて言っているのではなく、Windows登場以前、もっというと、Windows3.0以前というのが適当だと思います。Windows 3.0以前は、存在しないも同然のバージョンであり出来も悪かった為、社会的に見て存在しなかったと言うのが妥当でしょう。私が想定しているのは1991年ごろですね。この頃までは、Macは日本語に対応していませんでしたから、ワープロとか表計算も実用ではなかった事は確かですが、しかし、私が言いたいのは、GUIが登場し、それを使ったインターフェースの事を言っているのです。(当時のPCはMacのようにフォントやスタイルを設定し、画面で見たままそのままが出力(プリント)されるようではなかった。つまり、そういう意味で仕様以下)その当時のMacでも実用的ではあったわけです。それなのに、なぜ「おもちゃ」かといわれたかと言うと、アイコンがおもちゃのようにシンプルで洗練されていたからです。(複雑な操作も必要もなく子供が使えるレベルにまで進化していました)フォルダやペンのアイコンは誰が見ても分かりやすかったわけです。それが子供向けの商品に似ていたわけですね。機能的に劣っていたと言うよりも、安定性が当時のMS-DOSに劣っていたと言えるでしょう。ですが、それを補ってあまりあるGUIによる使いやすさがあったわけです。当時のPCが実用的だったかと言うと、MS-DOSのコマンド入力が必要だった点を考えると、普通の人には使えないものであった事実をわすれてはいけないでしょう。特定の人に実用的であったのであり、Macのように誰にでも使えるインターフェースではありませんでした。そのかわり、当時のMacは誰にでも買える値段ではなかったわけですが...当時のMacはパソコン界のフェラーリと呼ばれるほど高価なものでしたね。もっというと、1984年当時のPCはカラーと言っても16色表示でしたね。 ひるがえってiPadを眺めてみると、GUIはタッチパネルを活用する事により高齢の人にも使いやすいレベルまで進化しています。画面の中のものを触れるようになった事でより直感的になりました。それを宮崎駿と言うロートルジジイがなにをか偉そうな事を言っているが、マウスを使ったGUIだって、当初は、おもちゃのようだと揶揄されたわけです。それは機能面で劣化していたと言う事ではなく、むしろ、誰にでも使えるように機能アップしているのであって、それが見た目には「おもちゃ」に見えただけでなのです。そして、そのマウスによる操作が今や世界中に広がり、それで人々が「仕事」をしている。皆さんの机の上にあるマウスがその証人です。宮崎駿と言うロートルジジイの言葉と、机の上のマウスを眺め、どちらが正しい事を言っているかという事を私は言いたかったわけです。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
新しいものを否定する老人の戯言 (スコア:1)
大昔、Macでマウスを使っている人間を見て、おもちゃで遊んでいるようだと言われた。当時はキーボードでコマンドを打つのが「仕事」で、それ以外の事は「おもちゃをいじっている」事に過ぎなかった。しかし、今はどうだろう。世界中の人々がマウスを使って仕事をしている。それを「おもちゃをいじっている」とは言わない。iPadのタッチパネルも同じ、宮崎駿監督は、新しい操作体系を使う者を新技術に依存する愚か者として見ているのだ。つまり、宮崎駿監督の主張は恐らく本も否定の対象になっている筈だ。彼が言いたいのは「実際に己の目で見よ!」と言いたいわけで、iPadが特別そうなのかというと、そうではない。その理屈で言えば、本にも同じ事が言える。彼の言いたい事は「自分の目で見る事なくテクノロジー(本やiPad)に依存して分かった気になるな」と言いたいのだと思うが、そういう彼には、実際にiPadを使ってからそういう事を言ってくれと言いたい。
Re: (スコア:0)
> 大昔、Macでマウスを使っている人間を見て、おもちゃで遊んでいるようだと言われた。
いつのことだかわからないけど、PostScriptがMacで使えるようになる前だよね?
初代のMacはモノクロで、添付のワープロもペイントもオモチャみたいな仕様だったはずだし。
Re: (スコア:1)
>初代のMacはモノクロで、添付のワープロもペイントもオモチャみたいな仕様
当時のPCは、そのおもちゃみたいな仕様以下だったんだけどな
Re: (スコア:0)
Re:新しいものを否定する老人の戯言 (スコア:0)
>初代Macは1984年でしょ? その頃は既に、x86系パソコンはワープロや表計算で事務機器として実用品だったぞ。
1984年頃のMacについて言っているのではなく、Windows登場以前、もっというと、Windows3.0以前というのが適当だと思います。Windows 3.0以前は、存在しないも同然のバージョンであり出来も悪かった為、社会的に見て存在しなかったと言うのが妥当でしょう。私が想定しているのは1991年ごろですね。この頃までは、Macは日本語に対応していませんでしたから、ワープロとか表計算も実用ではなかった事は確かですが、しかし、私が言いたいのは、GUIが登場し、それを使ったインターフェースの事を言っているのです。(当時のPCはMacのようにフォントやスタイルを設定し、画面で見たままそのままが出力(プリント)されるようではなかった。つまり、そういう意味で仕様以下)その当時のMacでも実用的ではあったわけです。それなのに、なぜ「おもちゃ」かといわれたかと言うと、アイコンがおもちゃのようにシンプルで洗練されていたからです。(複雑な操作も必要もなく子供が使えるレベルにまで進化していました)フォルダやペンのアイコンは誰が見ても分かりやすかったわけです。それが子供向けの商品に似ていたわけですね。機能的に劣っていたと言うよりも、安定性が当時のMS-DOSに劣っていたと言えるでしょう。ですが、それを補ってあまりあるGUIによる使いやすさがあったわけです。当時のPCが実用的だったかと言うと、MS-DOSのコマンド入力が必要だった点を考えると、普通の人には使えないものであった事実をわすれてはいけないでしょう。特定の人に実用的であったのであり、Macのように誰にでも使えるインターフェースではありませんでした。そのかわり、当時のMacは誰にでも買える値段ではなかったわけですが...当時のMacはパソコン界のフェラーリと呼ばれるほど高価なものでしたね。もっというと、1984年当時のPCはカラーと言っても16色表示でしたね。
ひるがえってiPadを眺めてみると、GUIはタッチパネルを活用する事により高齢の人にも使いやすいレベルまで進化しています。画面の中のものを触れるようになった事でより直感的になりました。それを宮崎駿と言うロートルジジイがなにをか偉そうな事を言っているが、マウスを使ったGUIだって、当初は、おもちゃのようだと揶揄されたわけです。それは機能面で劣化していたと言う事ではなく、むしろ、誰にでも使えるように機能アップしているのであって、それが見た目には「おもちゃ」に見えただけでなのです。そして、そのマウスによる操作が今や世界中に広がり、それで人々が「仕事」をしている。皆さんの机の上にあるマウスがその証人です。宮崎駿と言うロートルジジイの言葉と、机の上のマウスを眺め、どちらが正しい事を言っているかという事を私は言いたかったわけです。