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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
Lisaの思い出 (スコア:4, 参考になる)
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
これが、アプリアイコンをダブルクリック→無題ドキュメントを開いて起動、に比べてどう便利なのかが理解しかねる
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
後のOpenDocに見られるようなドキュメント中心パラダイムのハシリだと言うことでしょう。
結局ドキュメント中心パラダイムはOpenDocの挫折とともに一旦の終焉を迎えましたが。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
iTunesみたいなものをドキュメント中心でやると死ねそうと思った
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
マジですか。当時はまだGUIを備えたパソコンは無かったわけで,パソコンは特殊なスキルを身につけた人のツールでした。LisaはEasy-to-use(これを言い出したのもたぶんLisa)を標榜して,「誰にでも使えるパソコン」を目指したのです。パソコンをまったく使ったことの無い人(でもビジネスのスキルのある人)がターゲットでした。そこでAppleがとった手段が「デスクトップメタファー」でした。実際の机の上での作業のようにパソコンが使えれば,パソコンを使ったことがない人でも使えるんじゃないかと。「アプリの起動」なんてのは,専門家以外には理解不能なメタファーですから,Lisaからは排除されたのです。オレが作ったわけじゃないから真相は分らんけど。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
Lisaの設計者はユーザーを低能扱いしていたわけですね。
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
全然違うじゃん。まあACに理解しろってほうが無茶か。
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
Lisaが出たときにはWindowsもMacも無かったから,アプリの起動といったら,コマンドラインからディレクトリの階層のどこかにある実行可能ファイルを呼び出すか,自分でPATHを設定するかなんじゃよ。しかも,それとは別にデータ(=ドキュメント)を管理しないといけない。GUI化して,アプリをアイコンで見せてあげれば,PATHとか気にしなくてもよくなるのだけど,それでも(いまでも)「作ったはずのファイルがどこにあるか分らない」ってことはよく起きるでしょ。Lisaの中の人がどこまで検討したかは知らないけど,アプリアイコンを起動するよりも,ドキュメントアイコンを操作させた方がベターであるという結論に達したのは驚くに当たらない。
Lisaは「学習コストを極力抑えて,今までの仕事の流儀でそのまま使える」ことを目指したのだろう。それがうまくいったかどうかは別。でも利用者を低能扱いしたわけではないと思うぜ。
# 僕は下流の人の嫉妬には優しいので,低能と言われても怒らないよ。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
自分を上流だと思い込んでいる中流の人は、やたら周囲を見下しますね。貴方みたいに。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
べつに歴史的経緯の話をしているわけではないのだが。
(大差ないんじゃないの?というのが俺の主張。ドキュメント指向が劣っているなんて言ったか?)
まあ、ドキュメント指向が歴史的遺物だと思っているのなら、CUIとの比較にもなるのか。
> 「アプリの起動」なんてのは,専門家以外には理解不能なメタファーですから,
> 「アプリの起動」なんてのは,専門家以外には理解不能なメタファーですから,
> 「アプリの起動」な
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
つーか低能なギャグに突っ込んではなりません。
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
そうなんだけど違うよね(pipとは懐かしい… SORD…いやそれは違う)。
Lisaのターゲットはそういう「みんな」じゃなかった。パソコンを使うのは特殊なスキルと思われていたから(コンピュータメーカの社員だってパソコンやワープロを使うのは若手だけという時代),"コンピュータを使えない人にも使えるパソコン"ってのが真剣に考えられていた。「できる××」とか「xxx for dummys」なんて書籍が大量に出回るなんて想像もできないからね。でLisaの中の人たちは「コマンド行でアプリ起動なんて無理! GUI! ドキュメント指向で!」と判断したんだと思う。これのどこが「ユーザを低能扱い」しているのか教えてほしい。ひたすら使いやすさを追い求めただけだと思うのだが。その後マックが "rest of us" なんて言い換えていた層がターゲットなのでしょう。
>大差ないんじゃないの?というのが俺の主張
ACさんに「俺の主張」って言われてもどれが誰の発言だか分らないしな…
まあ,これこそ「歴史的経緯」だよね。当時はそんなこと分らなかったのよ。アプリアイコンのクリックなんてメタファーのパソコンはなかったから。もしかすると,アプリアイコン起動のメタファーにすればLisaはもっと売れたのかもしれないけど,こればっかりはナントモ。だから「いま見ればアプリアイコン起動もドキュメントアイコン起動も変わらないでしょ」といえばそうかもしれない(それでもドキュメントの管理のしやすさなどのよさはあるかも)。ただドキュメント指向のUIだと「同じデータ形式を処理する複数のアプリをどう使い分けるの?」って問題があった。Lisaはクローズドなアーキだからよかったけど。
# そういえば同じ行をたくさんコピペするってのはどこの文化。そういうお下品なのはやめた方がいいんじゃ。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
ところで、ワープロ専用機になるとどういう風に考えればいいのですかね。
電源を入れると「編集」とか「文書整理」とかのメニューが出てきて、
今で言うワープロソフトは立ち上がっているけれど、そのままでは
目の前に紙はありませんよね。
さらに、この機能を選んでからデータ入力、もしくはデータ参照という
操作体系は、ビデオの録画予約、HDレコーダや携帯電話の操作全般にも
当てはまるでしょう。
もっと広い意味で考えると、車の運転も該当するんじゃないですかね。
Re:Lisaの思い出 (スコア:1)
TRONの坂村さんなんかは「誰でも使えるというのがそもそも幻想で,車の運転のように練習すれば使えるようになればいいのだ」と言ってました。
Lisaが登場したときにはGUIを持つパソコンはありませんでした。だから「アプリのアイコンから起動」する操作(今のWindowsやMacはみんなそうですが)は比較対象にならなかったのだと思います。内部的には試したのかもしれませんが,少なくとも「ドキュメント中心の操作の方が,より分かりやすい」という結論になったのではないでしょうか。お手本にしたのはXEROXのAlto(のSmalltalk)か,Starあたりらしいけど,あのへんのマシンも「アプリの起動」みたいな操作はありませんよね。
つまり必要なものはみんな「そこにある」ような操作系がLisaの目指したものなんだろうと思います。紙も計算機も筆も時計もそこにあって,いちいち起動しない(というか起動を意識させず,ドキュメントの作成に集中させる)。
# ちなみに古いアップルのHIG(Human Inteface Guideline)にはモードに関する記述があって,「アプリは1つのモードである」と書いてあったと記憶しています。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
このやり方の場合、そういったことはなくなるでしょう。
Re:Lisaの思い出 (スコア:0)
確かBTRONも同じ。
最初に白紙を取り出してから作業を始るようになっている。
# 使ったことはないけど。