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この情報はしばらく前から明かされていたと思う。ああそうなの、という程度。
今回の記事の文脈は知らないけど、ちょっとめんどくさいな、とは思う。というのは、余計なことまで付け加えてしまったから。
ただ、それを含めて、ああそうなの、と受け止める程度。そこに社会的背景を読み取る事はできるとは思うものの、それは基本的には米国社会の事情。キリスト教文明という事もあるはずだし。
米国文化やキリスト教文明が近代文明の主流である以上、日本もその影響下にあるから、ちょっと似たような事情があるかもしれない。ハロウィーンの位置付けみたいな。
現代日本人の通念を勝手に推測すれば、それは個人の属性のひとつであって、だから何、と言うのと、テレビで見ているちょっとはしゃぎ気味な人たちの印象。知識人枠っぽい人達も印象深い。
米国と日本という単位で括るとよくわからないけれど、サンフランシスコなんかより東京の方がずっと同性愛差別が酷いと思う。
現代日本人の通念を勝手に推測すれば、それは個人の属性のひとつであって、だから何、と言うのと、テレビで見ているちょっとはしゃぎ気味な人たちの印象。
「個人の属性のひとつ」だから、個人的にやっていてください、同性婚を法的に認めるなんてとんでもない、という人が多い気がするんだけど。しかも、そういう人は自分が同性愛に寛容だと思い込んでいる。
迫らなきゃ友達になれると思います。って、男女でも同じですね。
衆道がたしなみ [google.co.jp]だと言われた時代に生きたことがないので、自分自身はヘテロセクシャルだと思っていますが、どうなんだろう?と疑問に思ったことはありました。
異性愛者でも、相手がだれでもいいのかっつーとそうではないように、同性愛者でもそうなんですよね。
「え?お前ホモなの? 気持ち悪いな。近づくなよ」というとき、「いや、俺だって選ぶ権利はあるよ」ってことになるんじゃないかと。
衆道って、キリスト教が入ってきて西洋人の宗教的な倫理観の押し付けで差別されるようになったんですよね。そのキリスト教でも宗派によっては男色が横行してて、児童虐待で厳罰にされるような年の少年たちを教会の偉い人たちがヤッちゃってたり。
日本に男色を差別する意識を植え付けた西洋から、今度は同性愛を許容する風潮がまた入ってきたと。
三島由紀夫とか三輪明宏(漢字うろ覚えで失礼します)とか寺山修二とかの時代を考えると、日本におけるホモフォビアって、意外とごく現代的な現象なのかなとも思う。
地域差もあるみたい。旧制高校の話で「九州から来たやつらは硬派を気取ってるけど、男同士でしじゅういちゃいちゃしてて気持ち悪い」みたいな記述をみたことある(ソースは俺記憶なので各自で検証してください
衆道って仏門や武士階級での話で、一般にはあまり浸透してなかっただろ。武士階級でも、開国の遥か以前から風紀を乱すなどの理由で禁止されたり取り締まりが行われていたりしてる。
女人禁制の仏門や、戦場に女性を連れていけない武士と違って、一般庶民が同性に走る理由がない。
アメリカに奴隷制度があったころ、ドラペトマニア [wikipedia.org]なる精神病の存在が真面目に信じられていたそうな。
差別をする人間は、信じられない論理を持って自分を正当化する。
だから、泥棒をしないで生きていくことは割と簡単だが、差別をしないで生きていくことは難しいこと。一生をかけてできるようにならなければいけないこと。
自分の判断が差別ではなく合理的であるかどうかは、常に念入りにチェックをしていかないといけない。
同性婚を法的に認めるかどうか、というのは、(国から見た)婚姻の最大の目的が子孫を残し、国を支える次世代を再生産する、だから税制などで優遇する、という点にあると考えると、しかたないんじゃないかな。そういう経済的メリットの享受が無い形式での事実婚を、法的に認めるという方向性なら、日本じゃ抵抗は薄いと思う。
ていうか、日本って事実婚にはけっこう寛容だから、意外とすんなり行くんじゃないかねぇ?届け出を出す形の、ちょっと強化した事実婚ってことにするとか。事実婚なら、重婚も近親婚も法的に可能だったような気がするよ…。キリスト教の国から見たら大変なことかもw
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あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
(ある個人の私的受け止め方としては)ああそうなの (スコア:0)
この情報はしばらく前から明かされていたと思う。ああそうなの、という程度。
今回の記事の文脈は知らないけど、ちょっとめんどくさいな、とは思う。というのは、余計なことまで付け加えてしまったから。
ただ、それを含めて、ああそうなの、と受け止める程度。そこに社会的背景を読み取る事はできるとは思うものの、それは基本的には米国社会の事情。キリスト教文明という事もあるはずだし。
米国文化やキリスト教文明が近代文明の主流である以上、日本もその影響下にあるから、ちょっと似たような事情があるかもしれない。ハロウィーンの位置付けみたいな。
現代日本人の通念を勝手に推測すれば、それは個人の属性のひとつであって、だから何、と言うのと、テレビで見ているちょっとはしゃぎ気味な人たちの印象。知識人枠っぽい人達も印象深い。
Re:(ある個人の私的受け止め方としては)ああそうなの (スコア:2)
米国と日本という単位で括るとよくわからないけれど、サンフランシスコなんかより東京の方がずっと同性愛差別が酷いと思う。
「個人の属性のひとつ」だから、個人的にやっていてください、同性婚を法的に認めるなんてとんでもない、という人が多い気がするんだけど。しかも、そういう人は自分が同性愛に寛容だと思い込んでいる。
Re: (スコア:0)
迫らなきゃ友達になれると思います。
って、男女でも同じですね。
衆道がたしなみ [google.co.jp]だと言われた時代に生きたことがないので、自分自身はヘテロセクシャルだと思っていますが、どうなんだろう?と疑問に思ったことはありました。
Re: (スコア:0)
異性愛者でも、相手がだれでもいいのかっつーとそうではないように、同性愛者でもそうなんですよね。
「え?お前ホモなの? 気持ち悪いな。近づくなよ」というとき、「いや、俺だって選ぶ権利はあるよ」ってことになるんじゃないかと。
衆道って、キリスト教が入ってきて西洋人の宗教的な倫理観の押し付けで差別されるようになったんですよね。
そのキリスト教でも宗派によっては男色が横行してて、児童虐待で厳罰にされるような年の少年たちを教会の偉い人たちがヤッちゃってたり。
日本に男色を差別する意識を植え付けた西洋から、今度は同性愛を許容する風潮がまた入ってきたと。
Re: (スコア:0)
三島由紀夫とか三輪明宏(漢字うろ覚えで失礼します)とか寺山修二とかの時代を考えると、日本におけるホモフォビアって、意外とごく現代的な現象なのかなとも思う。
地域差もあるみたい。旧制高校の話で「九州から来たやつらは硬派を気取ってるけど、男同士でしじゅういちゃいちゃしてて気持ち悪い」みたいな記述をみたことある(ソースは俺記憶なので各自で検証してください
Re: (スコア:0)
衆道って仏門や武士階級での話で、一般にはあまり浸透してなかっただろ。
武士階級でも、開国の遥か以前から風紀を乱すなどの理由で禁止されたり取り締まりが行われていたりしてる。
女人禁制の仏門や、戦場に女性を連れていけない武士と違って、一般庶民が同性に走る理由がない。
Re: (スコア:0)
アメリカに奴隷制度があったころ、
ドラペトマニア [wikipedia.org]
なる精神病の存在が真面目に信じられていたそうな。
差別をする人間は、信じられない論理を持って自分を正当化する。
だから、泥棒をしないで生きていくことは割と簡単だが、
差別をしないで生きていくことは難しいこと。
一生をかけてできるようにならなければいけないこと。
自分の判断が差別ではなく合理的であるかどうかは、
常に念入りにチェックをしていかないといけない。
Re: (スコア:0)
同性婚を法的に認めるかどうか、というのは、(国から見た)婚姻の最大の目的が子孫を残し、国を支える次世代を再生産する、だから税制などで優遇する、という点にあると考えると、しかたないんじゃないかな。
そういう経済的メリットの享受が無い形式での事実婚を、法的に認めるという方向性なら、日本じゃ抵抗は薄いと思う。
ていうか、日本って事実婚にはけっこう寛容だから、意外とすんなり行くんじゃないかねぇ?
届け出を出す形の、ちょっと強化した事実婚ってことにするとか。
事実婚なら、重婚も近親婚も法的に可能だったような気がするよ…。キリスト教の国から見たら大変なことかもw