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運転中の会話そのものが危険だから、運転中は話をするな、という結果の出た研究もあります。
携帯を持った片手運転とハンズフリーでは有意差がなく、会話の内容の方が影響が大きかったそうで。(道順の説明とか計算とかやらせると反応速度が落ちるらしい)# 注意力が分散されるわけだから、当たり前といえば当たり前の話ですけど。
道順の案内を音声入力した場合に反応速度がどの程度低下するか、測ってみると面白いかもしれません。
ラジオみたいな「聴くだけ」のモノと違いますからね。ラジオでも、面白い興味深い内容であれば注力してしまう場面もあるでしょうが、「会話」とは根本的に異なる。会話の場合は「自分の言う事に対して相手の言っている事」に注意を振らなければならない。聞き流せば会話にならないし、自分の言ったことを相手が理解してるかどうか、返答や反応から察知し、理解し、それに対する応答をまたしなければならない。これはハンズフリーの電話だろうとSiriのような「会話」デバイスであろうと同乗者との会話であろうとそうなのですが、実際には同乗して車内で空間を共有していると運転者の状況判断もある程度共有できる場面も出てきて、電話などよりも運転に必要な注意力が削がれにくい部分もあります。右折時に運転者が真剣な顔で対向の直進路を見つめてる時に横で「ねえ、聴いてるの!」と注意を外らそうとする同乗者がいる場合や、運転の危険性をよく知らない子供が喚く場面も中にはあるでしょうが、多くの人はそういう時には「空気を察知」してシビアな問いかけを躊躇するものですし、返答がなくても「仕方ない」と思ってもらえることを「運転者も」認識している、つまり状況を共有しているから安心して会話を中断し運転に注力できます。その切替を「運転者自身が選択できるという安心感」そのものが、運転中の同乗者とのスムースな会話を成り立たせているともいえるでしょう。ところが電話などでは、相手にはこちらの状況は伝わりません。右折の途中だろうが何だろうが、一方的に「話しかけ」てきます。回答を要求たり反応を促したり、レスポンスの時間で何か(多くの場合は運転中のシビアな状況ではなく、問いかけた質問に対する相手の心理状態)を推測していたりします。運転者の側も「相手に伝わっていない」ことを認識しているので、そういう「誤解」を出来るだけ与えたくないと無意識に注力してしまいます。その分、こうしたデバイス経由の会話は、同乗者との会話よりも相対的に危険であると思えます。もちろん車内での同乗者との会話による危険もゼロではないでしょうが、だからといって「ならば車内での会話を禁止すべき!」といった白黒思考が支持されず、この間にはある意味の線引きが存在するということは「常識的に」わかるものです。
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日本発のオープンソースソフトウェアは42件 -- ある官僚
運転中は、運転に集中しようよ (スコア:2)
運転中の会話そのものが危険だから、運転中は話をするな、という結果の出た研究もあります。
携帯を持った片手運転とハンズフリーでは有意差がなく、会話の内容の方が影響が大きかったそうで。
(道順の説明とか計算とかやらせると反応速度が落ちるらしい)
# 注意力が分散されるわけだから、当たり前といえば当たり前の話ですけど。
道順の案内を音声入力した場合に反応速度がどの程度低下するか、測ってみると面白いかもしれません。
notice : I ignore an anonymous contribution.
Re:運転中は、運転に集中しようよ (スコア:2, 参考になる)
ラジオみたいな「聴くだけ」のモノと違いますからね。ラジオでも、面白い興味深い内容であれば注力してしまう場面もあるでしょうが、「会話」とは根本的に異なる。
会話の場合は「自分の言う事に対して相手の言っている事」に注意を振らなければならない。
聞き流せば会話にならないし、自分の言ったことを相手が理解してるかどうか、返答や反応から察知し、理解し、それに対する応答をまたしなければならない。
これはハンズフリーの電話だろうとSiriのような「会話」デバイスであろうと同乗者との会話であろうとそうなのですが、実際には同乗して車内で空間を共有していると運転者の状況判断もある程度共有できる場面も出てきて、電話などよりも運転に必要な注意力が削がれにくい部分もあります。
右折時に運転者が真剣な顔で対向の直進路を見つめてる時に横で「ねえ、聴いてるの!」と注意を外らそうとする同乗者がいる場合や、運転の危険性をよく知らない子供が喚く場面も中にはあるでしょうが、多くの人はそういう時には「空気を察知」してシビアな問いかけを躊躇するものですし、返答がなくても「仕方ない」と思ってもらえることを「運転者も」認識している、つまり状況を共有しているから安心して会話を中断し運転に注力できます。その切替を「運転者自身が選択できるという安心感」そのものが、運転中の同乗者とのスムースな会話を成り立たせているともいえるでしょう。
ところが電話などでは、相手にはこちらの状況は伝わりません。右折の途中だろうが何だろうが、一方的に「話しかけ」てきます。回答を要求たり反応を促したり、レスポンスの時間で何か(多くの場合は運転中のシビアな状況ではなく、問いかけた質問に対する相手の心理状態)を推測していたりします。運転者の側も「相手に伝わっていない」ことを認識しているので、そういう「誤解」を出来るだけ与えたくないと無意識に注力してしまいます。その分、こうしたデバイス経由の会話は、同乗者との会話よりも相対的に危険であると思えます。
もちろん車内での同乗者との会話による危険もゼロではないでしょうが、だからといって「ならば車内での会話を禁止すべき!」といった白黒思考が支持されず、この間にはある意味の線引きが存在するということは「常識的に」わかるものです。