アカウント名:
パスワード:
僕は Mac から入ったよ。職場では Win から始めた人より Win を使いこなしている自信がある。(家庭では全員 Mac のみ。家族も職場で Win だが)
X68k->SE30->Ⅱcx->・・・って感じで使って来たんですが、昔はMacじゃないと出来ない事が多々あった。その為ずっとMacの環境を保持してきていた。しかし、この頃は特に「Macでないと」との案件は無くなり、逆に「Macでは・・・」というのが増えてきた。その結果、いつの間にかMacはメインの座から落ちてしまってます。
やれること自体にに大差が無いのであれば、道具としては他人と合わせられる方がイロイロと便利だし。逆に言えば「他人と違う」事に意義を求める人以外には、今じゃあんまり意味は無いのじゃないかと。
一般人の言葉では昔は「PCを使う」と言っていた
『道具』というキーワードと、X68kというご縁でこちらにぶら下げさせていただきます。
【目的】と【手段】をどう捉えるか?という問題なんだと思います。
『道具』っていうのは、“なにがしかの目的のために使われる手段”ですよね。私がX68kを使っていたころ、私の愛機はそれ自身が【目的】でした。今の/.erに分かりやすい言い方をすると『X68自体が興味深いHack対象だった』という感じです。拙い(しかもクソの役にも立たない)プログラムを量産したり、まぁえっちなゲームもしたりしましたが、ゲームすることよりも、デバッガからゲーム立ち上げるほうが多かった気が(をい)。。。一応オフィスソフトも存在しましたが、そんなつまらんことに使うつもりもサラサラなくて(笑)
でサブにPC98noteも持っていて、こっちは完全に文房具(つまりこれは【手段】)。パソコン通信用ターミナルと、テキストエディタと、たまに仕事持ち帰り用一太郎。まぁ、LSI-C試食版なんてありがたいモノもあったので多少はソフト作りもしましたが、それは楽しみとしてのプログラミングじゃなくて、『必要に迫られて作る小tool』でしたね。
で、時代がめぐりWindows95マシンを使うようになってからも、細々とX68kは使い続けてました。なんていうか、Windowsでは【目的】にならんのですよね(もちろん私の主観)。
さらに時が流れ、2度の引越しもはさんだこともあり、X68kは現在生態保存状態ですが、思い入れが強すぎるので、墓場まで持って行くつもりです(笑)。
他方、Macは常に傍から眺めているだけで所有したことないので、想像で申し訳ありませんが、Windowsと比較して【目的】化しているひとが一定数いるんじゃないかと思っています。
“Macであること”自体が目的のひとが、別途道具として(ただの【手段】として)Windows機も持っている、というのは別段不思議な話でもないんじゃないでしょうか。# 『楽しみはMacで。つまらん作業はWindowsで』って感じ?
ま、『信者』と呼ばれるひとの中には、原理主義の過激派と見受けられるカタもいらっしゃいますが・・・それは置いといて(^^;
蛇足ながら、現在は、Windowsの中にX68エミュレータで箱庭作って遊んでます。おぢいちゃんの盆栽趣味みたいなもんですね。シアワセですよ(^^)v
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
ナニゲにアレゲなのは、ナニゲなアレゲ -- アレゲ研究家
Windowsに不満を持ってMacを買い足した人って多いんだねぇ (スコア:2)
というトンでも予測をしても、かなり外れるのだろうなぁ。
でも、どっちが先だったのかは、けっこう意味が違うと思う。
Windows専用ソフトが手に馴染んでいる人であれば
それにMac版が無ければ、WindowsPCも残すでしょ?
その場合、それはWindows用ソフトの充実を示すものであって
Windows自体の評価としてはマイナスとしてとられるべきもの。
Windows95から14年も経つんだから、何も分からない両親がWindowsを購入し
成長した子供たちがMacを選び出した輝かしい歴史だってあるさ(笑)
世の中にWindowsMe等が生き残っている理由がわかったよ(妄言)
閑話休題、こういう統計は、PC歴10年程度の人が
過去5年間に購入したPCといった形で集計しないといけないんじゃないかな。
逆にSE/30を捨てられないWindows userだって含まれるし。
ちなみに、管理権限を持つ私物として使った環境としては
MS-DOSとOS/2とLinuxと漢字TALK7.6しか無いよ。
同じUNIX系OSの枠に入るまでは、やつらは敵だったんじゃないかなぁ…もう忘れたけど
Re:Windowsに不満を持ってMacを買い足した人って多いんだねぇ (スコア:1)
僕は Mac から入ったよ。
職場では Win から始めた人より Win を使いこなしている自信がある。
(家庭では全員 Mac のみ。家族も職場で Win だが)
the.ACount
逆ですね (スコア:0)
X68k->SE30->Ⅱcx->・・・って感じで使って来たんですが、昔はMacじゃないと出来ない事が多々あった。
その為ずっとMacの環境を保持してきていた。
しかし、この頃は特に「Macでないと」との案件は無くなり、逆に「Macでは・・・」というのが増えてきた。
その結果、いつの間にかMacはメインの座から落ちてしまってます。
やれること自体にに大差が無いのであれば、道具としては他人と合わせられる方がイロイロと便利だし。
逆に言えば「他人と違う」事に意義を求める人以外には、今じゃあんまり意味は無いのじゃないかと。
一般人の言葉では昔は「PCを使う」と言っていた
Re:逆ですね (スコア:1)
『道具』というキーワードと、X68kというご縁でこちらにぶら下げさせていた
だきます。
【目的】と【手段】をどう捉えるか?
という問題なんだと思います。
『道具』っていうのは、“なにがしかの目的のために使われる手段”ですよね。
私がX68kを使っていたころ、私の愛機はそれ自身が【目的】でした。
今の/.erに分かりやすい言い方をすると『X68自体が興味深いHack対象だった』
という感じです。
拙い(しかもクソの役にも立たない)プログラムを量産したり、まぁえっちなゲー
ムもしたりしましたが、ゲームすることよりも、デバッガからゲーム立ち上げ
るほうが多かった気が(をい)。。。
一応オフィスソフトも存在しましたが、そんなつまらんことに使うつもりもサ
ラサラなくて(笑)
でサブにPC98noteも持っていて、こっちは完全に文房具(つまりこれは【手段】)。
パソコン通信用ターミナルと、テキストエディタと、たまに仕事持ち帰り用一
太郎。まぁ、LSI-C試食版なんてありがたいモノもあったので多少はソフト作
りもしましたが、それは楽しみとしてのプログラミングじゃなくて、『必要に
迫られて作る小tool』でしたね。
で、時代がめぐりWindows95マシンを使うようになってからも、細々とX68kは
使い続けてました。
なんていうか、Windowsでは【目的】にならんのですよね(もちろん私の主観)。
さらに時が流れ、2度の引越しもはさんだこともあり、X68kは現在生態保存状
態ですが、思い入れが強すぎるので、墓場まで持って行くつもりです(笑)。
他方、Macは常に傍から眺めているだけで所有したことないので、想像で申し
訳ありませんが、Windowsと比較して【目的】化しているひとが一定数いるん
じゃないかと思っています。
“Macであること”自体が目的のひとが、別途道具として(ただの【手段】と
して)Windows機も持っている、というのは別段不思議な話でもないんじゃない
でしょうか。
# 『楽しみはMacで。つまらん作業はWindowsで』って感じ?
ま、『信者』と呼ばれるひとの中には、原理主義の過激派と見受けられるカタ
もいらっしゃいますが・・・それは置いといて(^^;
蛇足ながら、現在は、Windowsの中にX68エミュレータで箱庭作って遊んでます。
おぢいちゃんの盆栽趣味みたいなもんですね。シアワセですよ(^^)v
♪潔くカッコよく生きてゆこう
Re: (スコア:0)
料理人が包丁にこだわりを持たなくなったら、おしまいでしょ。
Windowsは「包丁からカッターナイフになった」ということだな。
昔、誰でもモノ書きになれるというものでもなかった。
モノ書きは万年筆にこだわったもんでしょう。
パソコンやケータイで書くようなモノ書きは誰でもなれるということだな。
そんな奴がパソコンにこだわるわけない。
まして、WordやExcelで報告書を書くなんて、誰でもできるよな :-p